こころという言葉は詩や歌詞でくりかえし出てきます。
詩における心という言葉はどういう意味なのでしょうか。なぜそれをつかうのか。
不思議でならないながらも、僕はつかってみます。そうやって考えていきます。
こころとはなにか。なんだろうか。なぜ歌詞や詩でこころという言葉をつかうのか。
犬の遠くには(リライト)
20:00 だよ
犬の遠くには、まぶしいビルの群れが、いつにもまして遠く立ちならんでいました。
都会の犬はたいていそうです。
地上40センチメートルの犬の高さから見上げた夜の東京だ。きらきらと欲望にうずまいていた。
犬は長いまつげを止め、見つめて、うなずき、「それってきらめいているんだな」とわかろうとしていました。
たしかに、これまでもセカイは欲望を、青色発光ダイオードのように放っていて、まぶしかったのですが。
「あっ!」犬は目を見あげました。空へ。
「ここは沖縄だったかも。忘れてたかも!」と犬は思いました。
青い空に積乱雲。ギンネムのマメ科の食われるような匂いだ。
深い闇へ鼻を伸ばし、青色の夢のような匂いをかぐといい。
セカイは自由自在。キミの心に夢があれば、思いは叶う。
しかし、小さな島に来てからというもの、仕方なく、犬は暗くて高いこの丘で、毎晩のようにLEDの点滅によだれを垂らしていました。
アスファルトの輝き具合もまた絶妙でした。
20:30 だよ
空腹の絶頂で、犬は急いで丘から道路へとおりてゆき、20時半のアスファルトにはらばいになる。
すると、昼間にためこんだ熱を放射するにつれて、アスファルトがきらめきだします。
tweeted by @inu_tokyo 犬「アスファルトが! きらめきだした! アスファルトおつ!!」
ちょうどその時間になるとアスファルトがきらめきだします。
tweeted by @inu_tokyo 犬「はらへりなう。路上から生ツイート!」
生温い夜風よ。思い出追い越して犬をたたけ。
地上3センチの景色で空気の傾きがそのまま全身にも影響を及ぼすので、
空腹の極みからおこる眩暈とアスファルトからの赤外線放射のきらめきで、
すぐ近くを歩いて行く高校生たちの下校集団の声が犬にはすごくきついです。
21:00 だよ
酒による酩酊があらゆる刺激を快感へと変えるように、
空腹による眩暈はあらゆる思考を日常とは異なる次元へと誘う。
だから、
犬はその耳を3回ふせて、その鼻を西の方角へ向けたんだ。
するとソフトクリームをなめているにおいがする。
犬の耳の先にスカート3、4本を思わせる風が感じられる。
犬「きっとあいつら高校生らに違いないです。だから追うのが犬の道理だと思います」
だが不意に、犬の頭上で高校二年生と思われる女生徒の声がしました。
車のヘッドライト。犬が好きなものは車のヘッドライト。
(中絶)